Home, Sweet Home

へーベルハウスで家を建てました。シンプルでモダン、でもちょっとナチュラルな空間に憧れています。夫nanjaと妻monjaで頑張ってセンスアップへの日々を綴ります。

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nanja的考察 -間取りについて 3-

 第二次大戦で日本は焦土と化し、終戦直後420万戸の住宅が不足していました。1950年から始まった朝鮮戦争による特需景気のおかげで、この住宅不足を解消しようとする国のプロジェクトがスタートします。景気が上向いているといっても物資の不足は深刻であったため、一つの住宅に割り当てられた面積は35㎡(10坪ちょっと)。そこに、新しい時代に即した住宅ということで「食事をする部屋と寝る部屋は別になるような間取り(食寝分離)」を作ることが大きな目標でありました。
 寝室に関する当時の調査によると、家族が若いうちは一部屋で寝ていても、子供の成長や家族数の増加によりある時期から寝室を二つ使うようになる(「寝室の分解」という)ことがわかっていました。ですから、キッチンと二部屋からなる住宅ですと、一部屋を食事室、もう一部屋を寝室として使っていても、ある時期から食事室も寝室化してしまい「食寝分離」を維持できないことになります。ということは、三部屋とキッチンということになりますが、狭いところにこのような間取りを組むのは不可能でした。この困難を解決したのが、東大の助教授だった吉武泰水(よしたけ・やすみ)とその大学院生だった鈴木成文(すずき・しげふみ)の二人なのです。かられは、食事室とキッチンを一部屋にまとめる、すなわち、ダイニングキッチン(DK)を考案したのです。そして、「寝室の分解」に備えて部屋は二つ確保し、更には洗濯をしてそれを干すバルコニーの確保、水洗便所や物置も同時に確保することをやってのけたのです。

madori3-1.jpg
(51C型)

この間取りは「51C型」(1951年に考案され、標準間取りA、B、CプランのCタイプという意味)と呼ばれました。また、この間取りは当時の行政機関の内部資料では「2DK」と記されていました。
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コメント

面白い

そうそう、あの頃は・・・なわけない(笑)
ふたつの和室ですが、殆ど広さの同じ部屋に違う大きさのタタミを敷いて、片方を6畳と表記してるんでしょうか
玄関脇に小部屋がありますね
いまでいうとシュークロークでしょうか
洗濯機はベランダかな?
浴槽がありませんね(笑)
年配で、この時代を知っていらっしゃるヒトって、出窓に異常なまでの憧れがあります・・・経験上・・・

  • 2007/03/06(火) 14:38:22 |
  • URL |
  • 潜水艦乗り #lFb6dAW6
  • [ 編集]

潜水艦乗りさま

nanjaは他の資料も畳の大きさを変えて違う畳数になっているのは何故…
と呪文を唱えながら寝てしまいました。
が、私はその呪文が気になって寝れなくなってしまいました。(笑)
ネットで調べたmonjaの推測ですが、
京間、中京間、江戸間、団地サイズの
全ての畳の縦横の比率が1:2なので、
微妙なサイズ調整で、巧く間取りを配するには
畳のサイズを変えるしかなかったのでは…
コンクリートの厚みや柱のでっぱりなど
色々と試行錯誤されたのかも、と思いました。
正解は如何に!?

  • 2007/03/07(水) 03:18:14 |
  • URL |
  • monja #-
  • [ 編集]

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